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神戸地方裁判所 平成4年(ワ)181号 判決

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

理由

【事実及び理由】

第一  請求

一  被告らは、原告に対し、連帯して金五〇〇万円及びこれに対する平成四年二月一八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告らは、原告に対し、甲南広報誌上に、別紙1記載の謝罪広告を、「謝罪文」とある部分は一二ポイントの活字(ゴシック)で、その他の部分は一〇ポイントの活字で、一回掲載せよ。

第二  事案の概要

一  本件は、被告学校法人甲南学園(以下「被告学園」という。)の設置する甲南大学の学長である被告湯浅一經(以下「被告湯浅」という。)及び被告学園の理事長である被告久保田淳一(以下「被告久保田」という。)が共同して発行した甲南学園報号外の記事により、原告の名誉が侵害されたとして、原告が、被告学園に対しては民法七一五条、四四条一項、七二三条に基づき、被告湯浅及び被告久保田に対しては民法七〇九条、七二三条に基づき、慰謝料及びこれに対する被告久保田に対する訴状送達の日の翌日である平成四年二月一八日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払並びに謝罪広告の掲載を求める事案である。

二  争いのない事実

1 当事者

(一) 被告学園は、甲南大学、甲南高等学校及び甲南中学校を設置する学校法人である。

(二) 原告は、昭和五六年四月一日から平成三年四月まで甲南大学経営学部(以下単に「経営学部」という。)教授の地位にあった。

(三) 被告湯浅は、昭和六三年一〇月一日から平成元年一〇月二七日まで及び平成二年四月一日から引き続き、甲南大学の学長の地位にある。

(四) 被告久保田は、昭和五八年四月一日から平成三年九月三〇日まで被告学園の代表権を有する理事(理事長)の地位にあった。

2 本件記事の掲載

被告湯浅及び同久保田は、共同してその責任において、別紙2記載の一九八九年(平成元年)六月二七日付の甲南学園報(以下「本件号外」という。)を発行し、その中で、「◎ワープロソフトの件」と題する記事(以下「本件記事」という。)を掲載した。

3 本件号外は、被告学園の教職員に対して配付された。

三  争点

1 本件記事が原告の名誉を侵害するものであるか否か。

(一) 原告の主張

本件記事は、その文中の「これは、大変な社会問題です。不正コピーをしないように教える立場のものが、不正コピーを使用したというのですから。」、「ソフト不正使用監視機構の方がこられたのは、大学を疑ってこられたのではなく、特定のある教員を名指してこられました。」との記載など、特定の教員がソフトを不正コピーして使用していると断定しているうえ、「この疑いをまだ晴らすことが出来ずにいます。」との記載から、その読者に右事実があたかも真実であるかのように受け取らせるものであるから、原告の名誉を侵害することが明らかである。

もっとも、本件記事においては、「特定のある教員」としか記載がなく、原告の氏名を明示していないが、次のとおり、右教員が原告を指すことも明らかである。すなわち、

(1) 被告湯浅ら数名は、本件記事掲載に先立つ平成元年四月二六日、ソフト不正コピーを捜索すると称して、経営学部電子計算室(以下「電算室」という。)に立ち入っており、経営学部教授会は、被告湯浅らのこのような行為を問題としていた。

(2) 被告湯浅及び光岡学長補佐らは、平成元年四月二七日、原告をその研究室前で取り囲み、コピー不正使用の事実を語気荒く詰問するとともに研究室内の立ち入り調査まで要求した。

また、平成元年五月一一日の甲南大学の学部長など部局の長が出席する部局長会議において、原告の不正コピー疑惑は実名で報告された。

そして、これらのことは、本件記事が掲載された当時、広く一般の教職員及び学生に知られていた。

(3) 原告は、ソフトが置かれていた電算室の責任者をしており、当時、学生も含めて誰でもソフトを利用できるように同室にソフトを置いている旨を原告名で掲示していた。

(二) 被告らの反論

(1) 本件記事は、「関係者の協力が得られないので、この疑いをまだ晴らすことが出来ずにいます。」との記載など、不正コピーの使用を断定しておらず、「特定のある教員」が誰を指すかは分からないような記載になっているから、原告の名誉を毀損したとはいえない。

(2) 平成元年六月二二日ころ、別紙3記載の同日付教員有志一同名、文責経営学部林満男教授(以下「林教授」という。)の「全学の皆さんへ 横暴で無責任な大学当局を批判する」と題する文書「以下「林文書」という。)が、甲南大学の教職員及び学生らに対し、多数配付された。本件号外は、林文書が事実に反するため、必要な範囲で反論し、教職員に事実を知らせるためになされたものである。

林文書が「学長や理事長がやっていることは無能、無責任、破廉恥で恥知らずの行為であり、」など口汚く大学執行部を誹謗する悪質な内容であるのに比し、本件記事は極めて抑制の利いた内容である。

仮に、本件記事が原告の名誉を侵害したとしても、右のとおり、被告らは、自己の正当な利益を擁護するため、やむをえず、本件号外を出したものであり、右行為が、原告や林教授らの行った行為に比較して、その方法、内容において社会通念上許容される限度を超えていないから、違法性を欠き、不法行為とならないと解すべきである。

2 本件記事が原告の名誉感情を侵害し、侮辱による不法行為が成立するものであるか否か。

(一) 原告の主張

人の名誉感情を侵害する場合には、侮辱による不法行為が成立する。そして、侮辱による不法行為の成立に公然性は要求されない。

したがって、本件記事の「特定のある教員」の記載が、原告を指していると一般の読者に分からなかったとしても、原告は、本件記事により、名誉感情を侵害されたから、侮辱による不法行為が成立する。

(二) 被告の反論

前記1で反論したとおり、本件記事は、不正コピーの使用を断定しておらず、「特定のある教員」が誰を指すかは分からないような記載になっているから、原告の名誉感情を毀損したともいえない。

また、仮に原告の名誉感情を侵害したとしても、やはり前記1で反論したとおり、被告らは、自己の正当な利益を擁護するため、やむをえず、本件号外を出したものであり、右行為が、原告や林教授らの行った行為に比較して、その方法、内容において社会通念上許容される限度を超えていないから、違法性を欠き、不法行為とならないと解すべきである。

3 原告は、本件記事が原告の名誉を侵害するものであることなどを前提に、原告が大学教授の地位にあることなどから、名誉を侵害されたことによる将来への打撃は著しいとして、原告の精神的損害を慰謝するための慰謝料は金五〇〇万円が相当であり、その名誉を回復するため被告学園企画部広報課が定期的に発行し、教職員に配付され、学生も自由に入手できる甲南広報誌上に謝罪広告を掲載することが不可欠である旨主張する。

第三  争点に対する判断

一  本件の経緯及び背景事情について

前記当事者間に争いのない事実に、《証拠略》を総合すると、次の各事実を認めることができる。

1 電算室は、昭和六三年二月ころ、経営学部学生及び大学院社会科学研究科経営学専攻学生が、社会の高度情報化に適応しうるように情報処理に関する知識を向上させることを目的として設置された。

経営学部教授会は、同年三月一八日、電算室内規を制定した。右内規により、電算室の円滑な運営を図るために運営委員会を置くことになった。原告は、同年四月に初代の電算室運営委員長に就任し、平成元年一月、布上康夫経営学部教授(以下「布上教授」という。)と交代した。

電算室には、パーソナルコンピュータ二六台、制御用オフィスコンピュータ一台が設置されたが、開設に際して経営学部の昭和六三年度の予算で購入されたワープロソフトは、「松」と「一太郎」各一セットに過ぎなかった。そのため、原告は、同年四月末ころ、生協から、「松」のソフト二六セットを自費で購入し、バックアップ用にコピーを作成して、それらを講義等の利用に供し、電算室には原告名で「松の使い方概要」と題する文書を置いた。そして、同年五月七日、「松」の製作会社である管理工学研究所にユーザー登録をした。

なお、原告は、経営学部の予算で電算室のパソコン用のソフトが購入されれば、右購入分に応じて自費で購入した分を管理工学研究所ないし生協に引き取ってもらうつもりであった。

2 平成元年四月二五日、社団法人日本パーソナルコンピュータソフトウェア協会(以下「協会」と略称する。)法的保護担当チーフ久保田裕が、予告なく甲南大学に来学し、ソフトウェア法的保護監視機構名で、当時の学長補佐渡辺武文法学部教授(以下「渡辺教授」という。)及び同光岡貞夫経営学部教授(以下「光岡教授」という。)らに対し、電算室において、原告がソフトの不正コピーを使用しているとの学生からの投書が協会にあったので、そのことが事実であるか否かの調査をして是正されたいと申入れた(以下、右申入れを「不正コピーの件」という。)。

3 同月二六日、被告湯浅は、光岡教授から不正コピーの件について、報告を受けた後、甲南大学学長としての立場から、当時の電算室運営委員長布上教授の了承を得、同教授、被告学園常任理事田中昭法学部教授、光岡教授及び渡辺教授の立会のもとに、電算室に立ち入って、ソフトの不正コピーの有無について調査をしたが、同室内からはソフトの不正コピーは発見されなかった。その数日後、光岡教授は、被告湯浅の指示で、協会に対し、とりあえず電算室を調査したが、ソフトの不正コピーは発見できなかったと電話で報告した。

4 同月二七日、被告湯浅、光岡教授及び渡辺教授らは、大学会議の終了後、原告の研究室の前で、原告に対し、不正コピーの件について原告から事情を聴取したいと申し入れたが、原告は、「個人的な話は遠慮したい。」と答えてこれを拒否した。

被告湯浅は、その後も星野良樹経営学部長(以下「星野学部長」という。)を通じ、原告に対し、不正コピーの件につき事情聴取を申入れたが、原告はあくまでもこれに応じなかった。

5 平成元年五月二日開催の経営学部教授会において、星野学部長から本件不正コピーの件が報告され、その後、電算室運営委員長布上教授から、不正コピーの件で調査員が来学し、大学執行部から電算室を見せて欲しいとの依頼があったため、案内して説明した旨の報告がなされた。

右各報告に対し、二、三名の構成員から、投書のみで疑義をもって来学した協会の調査員及び投書に記載されている内容や投書した者について何の確認もしないで疑義をもって対処した大学執行部に対して強い抗議の意が表明され、学長ら大学執行部が経営学部教授会の許可なく、電算室に立ち入り調査に及んだことが学部の自治を侵すものではないかなどの意見が表明された。

また、構成員から「疑義の対象が個人なのか、学部なのか、大学なのか分からないので、協会の調査員を当教授会に呼んで確認してから議論してはどうか。投書の実物を見せて欲しい。」との意見ないしは要請がなされた。

その後の同月一六日、同月三〇日及び同年六月六日の同教授会においても不正コピーの件につき、確認ないし報告がなされた。

6 平成元年五月一一日の甲南大学部局長会議において、前記の不正コピーの件及びその後の被告湯浅らによる調査の結果についての報告がなされたが、その際、不正コピーの件の疑惑の対象者が原告であることは伏せられた。

7 平成元年六月二二日ころ、別紙3記載の林文書が教職員、学生及びその父兄らに対し、多数配付された。林文書は、その記載から明らかなとおり、不正コピーの件及びその後の被告湯浅らによる前記の調査をはじめ、学長である被告湯浅及び理事長である被告久保田ら甲南大学執行部の各種行為を痛烈に批判するものである。

原告は、林文書の内容の趣旨に賛同しているが、その教員有志一同の中には入っていない旨供述している。

8 被告久保田及び被告湯浅は、林文書が虚偽と中傷に終始していると感じ、林文書に対し、反論及び釈明の趣旨で本件号外を発行し、それらを被告学園の教職員に配付したほか、学生も入手できるように甲南大学内の広報ボックスにも置いた。その結果、学生及び学生の父兄の多数も、本件号外を手にして読んだ。

右被告両名は、その当時、原告が生協から購入した「松」のソフトを生協に返却要求していることを生協の担当者や光岡教授から聞いており、また原告から不正コピーの件につき釈明を拒否されていることもあって、原告が不正コピーをしている可能性を払拭できないでいた。

9 平成元年七月四日開催の経営学部教授会において、星野学部長は、翌五日に協会関係者が来学すると聞いているが、電算室への立ち入りを要請されても応じないこととした旨発言した。

その際、構成員から、「電算室の開設の際、松のソフトが置かれたことを学生から聞いているが、そのソフトの有無、それがオリジナルか、バックアップか、コピーか。またこのたびの一連の調査で疑われているのは誰か。どこのソフトか。」などの質問があり、同学部長は「疑われているのは構成員の一名であり、そのソフトは松とMS-DOSである。」と説明した。

また、構成員から、「協会はこのたびの件で管理工学研究所に問い合わせているのか。」との質問があり、それに対して、原告は「自分は二六セットの松のソフトを私費で購入しており、登録手続も既にしていて、そのコピーを持っている。」と発言した。原告が右事実を公式的に明らかにしたのは右教授会が最初である。また、原告は、それまで被告らに対して右事実を表明したことはなかった。

10 被告らは、経営学部教授会から、不正コピーの件の根拠となった投書の有無について確認を求められるなどしたため、光岡教授を通じ、協会に対し、その旨伝えた。これに対し、協会は、甲南学園に対し、ソフトウェア法的保護監視機構名の平成元年九月二七日付文書をもって、調査依頼を打ち切り、今後の活動の妨げとなるとの理由からいかなる種類の資料といえども開示しない方針である旨の回答をした。

二  本件記事が原告の名誉を侵害するものであるか否かについて

本件記事は、「これは大変な社会問題です。不正コピーをしないように教える立場のものが不正コピーをしたというのですから。」とするなど誇張的な記載部分がある。しかし、その内容は、特定の教員が不正コピーをした疑いを晴らすことができないとするものであって、不正コピーをしたと断定しているのではなく、しかも、本件記事の内容がいずれもほぼ事実であることは前記認定からして明らかであることから、本件記事が、人の名誉を毀損するとまではいえない。

また、前記認定からすると、本件号外後の平成元年七月四日開催の経営学部教授会において、星野学部長は「疑われているのは構成員の一名である。」との説明をしており、その他の同教授会、部局長会議の経過、本件号外の記載など、被告らは、少なくとも甲南大学執行部以外には疑われている特定の教員が誰であるかを伏せ、疑われている特定の教員が原告を指すことが分からないように十分に配慮していたというべきである。したがって、「特定のある教員」とのみ記載された本件記事が、原告の客観的名誉を侵害したとは決していえない。

なお、《証拠略》中には、部局長会議において原告の疑惑は実名で報告されていること、同会議の結果は各学部教授会で報告されていること、これらによって、他学部教授をはじめ全職員、学生も原告に関する右疑惑を知るに至ったこと、担当するゼミの学生から右疑惑について実際に質問をされたことがあったことを供述する部分がある。しかし、林証人自身が右部局長会議に出席していないことを認めているうえ、他学部教授をはじめ全職員、学生が右疑惑を知るに至っているとの点については、抽象的にこれを述べるのみで、何ら具体的な供述をしておらず、これらを前記認定に照らすと、右供述部分を採用することはできない。

また、本件記事は、不正ソフトの件で来学した担当者につき、実際は、「ソフトウェア法的保護監視機構」であるのに、「ソフト不正使用監視機構」と記載するなど、その名称につき誤記もあるが、その程度は比較的小さいものであるから、意図的になされたとしても、原告の名誉を侵害するものとはいえない。

三  本件記事が原告の名誉感情を侵害し、侮辱による不法行為が成立するものであるか否かについて

前記のとおり、本件記事は、不正コピーをしたと断定しているのではなく、その内容はいずれもほぼ事実であり、被告らは、疑われている特定の教員が原告を指すことが分からないように十分に配慮していたというべきであるから、本件記事により、原告の名誉感情を侵害したともいえないというべきである。

確かに、原告は、平成元年四月二七日、被告湯浅らから不正コピーの件について、事情聴取の申入れをされ、その後も同様の申入れをされたことは前記認定のとおりであるから、本件号外の発行当時、原告が本件記事の特定の教員が自分を指すことを十分に推測したかもしれないが、前記認定からすると、その事情聴取の申入れが格別不穏当であったとはいえないところ、原告は、事情聴取の申入れを拒否するだけで、平成元年七月四日の経営学部教授会までは、しかるべき事情の説明、釈明を一切していないうえ、本件記事の内容はその間の事情をほぼ正確に記載したものであるから、本件記事が原告の名誉感情を侵害したともいえない。

四  なお付言するに、仮に、本件記事が、原告の客観的名誉及び名誉感情を侵害したとしても、前記認定のとおり、被告らが本件記事を掲載した本件号外を発行した目的は、林文書に反論ないし釈明することにあり、多少誇張的な面があるとはいえ、右目的に必要な範囲で、ほぼ事実を記載したものと認められるから、本件記事は、結局において、違法性がないといわざるをえない。

原告供述のとおり、原告が林文書の内容に賛同するのみで、その発起人に入っていないとしても、右認定を左右しない。

五  以上のとおり、被告らが、原告の客観的名誉及び名誉感情を侵害したとは認められないから、その余の判断をするまでもなく、原告の請求はいずれも理由がない。

(裁判長裁判官 横田勝年 裁判官 永吉孝夫 裁判官 藤井聖悟)

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